松江哲明監督「あんにょん由美香」

猛烈に忙しかった時期がようやく終わり、久しぶりに一人で映画を観に行ってきた。
東中野「ポレポレ」という映画館で、松江哲明監督のドキュメンタリー「あんにょん由美香」を観た(映画公式サイトはここ、監督のブログはここ)。

内容を簡単に要約すると、アダルトビデオやピンク映画の女優として活躍し、2005年に亡くなった林由美香さんを巡るドキュメンタリーということになる。彼女の追悼イベントで上映された林由美香主演の韓国ピンク映画「東京の人妻 純子」の謎を追うことを縦糸にしながら、彼女に関わり、彼女を愛した男たちへのインタビューを横糸として織り上げられた物語だ。

あんにょん由美香」の劇中にも再三登場する韓国ピンク映画「東京の人妻 純子」は、怪作と言っていいくらい変な映画だが、不思議と松江監督を引き付けるものがあった。松江監督はこの映画に関わった人たちを取材し続け、遂に韓国にまで飛ぶ。そこで、「純子」の主演俳優や監督に松江監督はある提案をして……という物語を中心に、カンパニー松尾いまおかしんじ平野勝之といった彼女を撮ったほかの監督たちへのインタビューを交えて、映画は林由美香を描き出そうとする。

ここで面白いのは、様々な人が証言する林由美香が、きれいに一つの像を結ばないということである。カンパニー松尾いまおかしんじ平野勝之、それぞれの林由美香の死の受け止め方が全く違う。また、韓国ピンク映画「純子」のコーディネーター的な仕事を務めたカメラマン柳田氏が思わずこぼしてしまった少々下世話な話もいい。松江監督の韓国でのインタビューの後、久しぶりに再会した柳田氏と韓国人スタッフの酒飲み話で浮かび上がってくる「由美香像」もまた、違う像を結んでいる。

もちろんそれは取材の不徹底、林由美香の実像を明らかにしようとする努力不足、というわけではない。むしろ松江監督のもつ由美香像が押し付けられていない、ということだ。少しずつ異なった由美香像を通して浮かび上がるのは、逆に林由美香という存在の圧倒的な存在感である。少しずつ異なる林由美香像によって、平板な林由美香像ではなく、立体的な林由美香像が結ばれてくる。そしてまた、彼女の不在を通して、逆に彼女の強烈な存在感が照射されてくる。彼女がとても人を惹き付ける人であるということが、一つの像を結ばない林由美香のイメージから逆に浮かび上がってくるのである。

おそらく、文章や評伝ではこういう効果は生まれないだろう。それらでは、どうしても書き手の「林由美香は……である」という定義の欲望が抑えられなくなってしまうだろうし、言葉を重ねて像のズレを修復してしまいたくなるであろう。一方この映画は、ドキュメンタリ映像という媒体を通して、作り手の欲望を越えたものを浮かび上がらせることに成功している。ドキュメンタリー映画の醍醐味を味あわせてくれるものとして、この映画はとても素晴らしいものだと言えよう。