嘉戸一将『西田幾多郎と国家への問い』

連休中は、風邪をひいて寝込んでいました。
連休前に無理をして諸々を終わらせ、その反動で連休中は寝込むということを最近繰り返しているような気がします。
そんな中、読んだ本がこれ。

西田幾多郎と国家への問い

西田幾多郎と国家への問い

帯には「主権としての絶対矛盾的自己同一」との言葉が。

主権をめぐる問い

この書は、西田のある書簡を出発点に据える。その書簡とは京大の同僚であった田中秀央に宛てた手紙であり、ジャン・ボダンの『国家論』ラテン語訳についての質問である。西田はボダンの「主権」についてのくだりに関して、

法によって束縛せられ即ち法から
自由な権力といふ様に解せ
ないでせうか

と田中に訊ねたのであった。

ただし、ボダンは主権を「法に束縛されず法から自由な権力」としており、この質問は西田の語訳に基づく質問であった。しかし著者は、どうして西田が「法に束縛されつつ法から自由である」という奇妙な主権解釈を構想したのかということをさらに問題にしていくのである。

そのため、著者はまずは「主権」という問題がいかに問われてきたのかを論じることから始める。ジャン・ボダン、カール・シュミット、フリードリヒ・マイネッケの主権論を問題にし、さらに明治時代の井上毅穂積八束天皇機関説などを概観しながら当時の主権をめぐる問題状況を明らかにする。そこでは主権の問題は、法と法の起源、法の定礎、準拠の問題とされる。

西田は、法の定礎に「絶対無」を置く。それはあらゆる主権「者」を主権の位置から排除する論理として考えられる。いかなる人間や政府、機関も主権者の位置を占めるはできない。ただ、絶対無という虚構=擬制への信に基づくことによって、法の絶対性と永続性が担保されるというのである。もちろんそれが意味するのは、いまある法が絶対的なもの永遠なものとみなすということではなく、法制度が保証されるということである。法によって人格が承認され、人格によって立法されるという循環関係が、絶対無に対する「信」によって担保されるのである。

この西田の立場は、田辺元和辻哲郎天皇機関説が構想した主権論に比べて、徹底的にラディカルな立場とされている。というのも、彼らの立場は天皇制の「歴史的正統性」に国民の紐帯を見出すのに対して、西田の立場はそのような歴史的正統性という虚構=擬制に依拠せずに、個の自由と責務、共同性・制度性を明らかにするからである。

西田の国家論の躓き

しかし、西田の国家論にも限界はある。彼が自身の国家論を明治憲法と接続させようとするところに、無理が生じてしまう。というのも、西田が天皇制を絶対無と同一視してしまうことによって、あらゆる実体を拒むはずの絶対無が実体化されるからである。

西田は、天皇を、主体ではなくその時々の政府の正当性を保証する機能として考えた、とされる。それは、当時の国体論に対する対抗言論であり、天皇主権説に対する反論であった。その意味では、著者は西田の皇室論にも一定の評価を与える。しかし、そのことによって西田は天皇機関説象徴天皇制へと接近してしまう。それは、そこから越え出ることができるポテンシャルを有していたはずの議論に自らの理論を落とし込んでしまうということも意味しているのである。

西田は、狂信的な国体論によく対抗したとは言えるが、天皇制はやはり彼にとっての躓きの石であったのである。

本書の意義

西田の国家論を問題にすると、「時代に屈した知識人」とセンセーショナルに論じたり、逆にそれに対して「捏造」や「資料を読まずに批判する」と声高に反論するものばかりが目立った。それに対して、西田の国家論を、その背景から浮き彫りにすることを通して、その意義と限界を丁寧に跡付けた本書は、大きな意義があるといえるであろう。そしてまたそれが、西田と戦時体制との関係に対する批判にこたえるものとなっているということも重要である。

さらにまた、中世のソールズベリーのジョンから現代のミシェル・フーコーに至るまでの国家論の系譜の中で西田を論じることによって、その現代的意義を明らかにするものとも言えよう。

ただ惜しむらくは、著者の関心から外れるためか、法を支える「信」の問題や「宗教」への問題に関する踏み込んだ議論がなかったという点である。とは言え、知的興奮を味あわせてくれる好著であることには間違いがないであろう。