東浩紀氏のポストモダン・哲学史理解について

忙しさにかまけて、日記をかなり放置していたのですが、「どの口がそれを……PartII(追記あり)」(http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100903/p1)というエントリに付けたブックマーク、

「東氏が「カンニングは許せん」と言えても、「カンニングツイッターで告白するのはおかしい」と言うのは自己矛盾になるということ。ポモ系リベラルとは、まことにハードな立場ですなぁ…。」(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100903/p1

に関する補足をここで書いておきます。

ポストモダンについて

同じ記事のブックマーク内でid:y_arimさんが、

ポストモダニストが責任を問うなど笑止千万、ということか。『逆境ナイン』に曰く「それはそれ‼ これはこれ‼」とのことだが……

と書かれたように、ポストモダンは責任を問うことができないという意味で、私はブックマークコメントを書いたつもりはありません。
id:Fondriestさんが

「本来」ポストモダン相対主義や無責任と同一視できるようなものではない。これは東の個人的資質に過ぎないのでは。そんな区分けを認めないのがポストモダンだとしても。

と指摘されているように、私もポストモダン自体が相対主義とか無責任であるとは考えません。しかし東氏は相対主義的で無責任な言動をしながら、それをポストモダンの立場のせいにしているので、揶揄を込めて「ポモ系リベラルとは、まことにハードな立場ですなぁ…」と書いたのです。
東氏がポストモダン相対主義的なものと理解しているらしいことは、孫引きですが、『リアルのゆくえ』で、

東 たとえば、なぜ歴史の問題すら解釈次第という立場なのかと言われたら、それはぼくがポストモダニストだからです。ぼくにしてみれば、高橋哲哉氏が靖国問題であんなにポジティヴな話をしてしまえることに違和感がある。だからそれは、ある種の知的訓練の中でそういうポジションを取らざるを得なくなってしまったということでもある。
 
大塚 その話を聞いてしまったら、ポストモダンっていうのは、何もかもから距離を取れて、すごく楽な思想だっていう話になっちゃうよね。
 
東 楽と言えば楽ですが、楽じゃないと言えば楽じゃない……(苦笑)。
http://watashinim.exblog.jp/8879908/

と発言していたり、

デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる
言うということはデリダを裏切る
左翼とかポストモダニストが言っていたことはそういうこと
という文脈で話をしていたのだが、本では南京の部分だけが残された
それがネットにコピペ
ばーっと批判

様々な見方、無限の寛容を認める
テロリストを認めるということに近い
そういうことを言っている人間が、
右翼とか保守主義に対しては、ほとんど愚直に対して真理だと言う

これは非常に難しい問題
従軍慰安婦は、軍の命令なんかはなかったんじゃないか
南京大虐殺は、あっただろうけど規模は小さかったんじゃないか
全ては解釈ゲーム
http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081114#p1

という講義での発言から伺えます。
おそらく東氏は、デリダ脱構築という立場を、「あらゆる言説は真理ではなく単なる解釈に過ぎず、すべての言説は解釈ゲームに過ぎないフラットなものである」というような立場であると理解しているのではないでしょうか。

何のための脱構築

しかし、デリダは間違いなく「ホロコースト否定論者に発言の場を与えるべき」とか「すべては解釈ゲームなので、ホロコーストはなかったという言説もあり得る」などとは決して述べないでしょう。高橋哲哉は『デリダ』の用語解説の中で、形而上学的言説が二項対立を作り出し、ある一方の項を上位に置く形而上学的思考について、

脱構築的言説は、こうした広義の形而上学的思考を支配している諸概念の階層秩序的二項対立を解体し、現実の力関係を変形すべく介入する。
高橋哲哉デリダ』、「現代思想冒険者たち」28巻、1998年、310頁)

としています。例えば形而上学的思考は、男/女の二項対立を作り出し、男性が優位なものとし女性を抑圧する暴力的な言説を形成してしまう。この二項対立を解体し、形而上学的言説の暴力を暴露するのが脱構築の目的となります。
しかし、東氏にとって現状は、「インターネット等によりすべてがフラットになった世界」なので、脱構築における力関係の暴露と変形という目的はなくなり、脱構築はただ単にすべてを相対化するものになってしまいました。デリダにとって国家の戦争犯罪の否認は他者への暴力的な力関係を温存し強化するものであり批判の対象ですが、東氏にとってはすべてがフラットなので力関係は目に入らず許容すべき言説になるというわけです。
私は、ポストモダンとは、近代形而上学の暴力を暴露し、力関係を解体していく営みであると理解しています。それ故、ポストモダンの目的をオミットし、現実にあふれている暴力的な力関係を無視して相対主義的な立場を強弁する東氏を、本来のポストモダンとは違うという意味で「ポモ系」という言葉遣いをしてみたのですが、分かりにくかったかも知れません。

そもそも哲学史をちゃんと理解しているのか?

私は、東氏はポストモダン哲学史の理解が怪しいのではないかという疑念がぬぐえません。

そもそも大陸系の哲学の一部はとうの昔に科学ではなく文学になっている
 
強力に科学志向の論理実証主義(のち英米系の分析哲学)と、強力に文学志向のハイデガーに分化するところから20世紀の哲学は始まった。
 
したがって、「科学と文学」「論理と詩」に分化してしまった20世紀の哲学を今後どうするべきか、というのはきわめて重要な問題です
http://togetter.com/li/41085

こういった「科学と文学」、「論理と詩」という二項対立をたてることが、そもそもポストモダン的ではありません。ハイデガーは哲学を「科学と文学」という二項対立でくくることを決して許容しなかっただろうし、デリダも自分の哲学が「科学ではない文学だ」と考えなかっただろうと思います。東氏がハイデガーを読んでいないだろうということは、

たとえばフランスだとわかりにくいのでドイツの例で行くと、フッサールの科学的誤謬を衝くのは意味があるけど、ハイデガーの誤謬は衝いても意味がない。あれはカルナップが同時代に正確に指摘したように科学よりも詩に近い言語だからです。
 
フッサールなんて、けっこうまじめに科学と哲学の統合を考えているのだけど、1920年代あたりにそのプログラムがどうも破綻する。それで開き直ったはてにハイデガーが出てくる。他方でウィトゲンシュタインも初期の論理実証主義を捨て、謎めいた日常言語分析に足を踏み入れる。
http://togetter.com/li/41085

という発言からはっきり分かります。ハイデガーをきちんと読めば、科学用語を哲学のメタファーに用いること自体に反対しているのが分かりますから、そもそも「ハイデガーの科学的誤謬を衝く」ことができません。ハイデガーは科学的な哲学に反対しましたが、科学もそこから可能になるような知の営み全体を考察していたという点では、「開き直って詩の言語を使ったハイデガー」などという理解もあり得ません。ウィトゲンシュタインだって、確かに『論考』的な言語観は捨てましたが、「言語使用の探求を通して、形而上学的な病を治療する」という哲学理解は一貫していたように思えます。
ハイデガーデリダは哲学を文学にした」という哲学史理解はどのような根拠に基づいているのか、ちょっと分かりかねます。
また、東氏のソクラテス理解もおかしなものです。

教育や大学の起源を考えるにあたって、ソクラテスという存在は外せません。でも彼はべつに弟子たちに哲学を教えてわけではない。金持ちが主催する飲み会へ参加しては、酒を飲んでツッコミを入れていただけです。彼自身に体系があったわけじゃない。でも彼がいると何となく議論が活発になる。そういう人だった。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20100430/1272628761

普通ソクラテスと言うと、飲み会というよりも広場で議論しているイメージが強いのではないでしょうか。「町の広場で人々と問答を繰り返し、しかもそのことで人から金銭を受け取ることは一切しなかった」みたいな記述は哲学史の教科書で見かけますが、「金持ちが主催する飲み会へ参加しては、酒を飲んでツッコミを入れていた」みたいな記述にお目にかかったことがありません。『饗宴』では確かに宴会の中で議論していましたが、ほかのプラトンの対話篇で酒を飲みながら議論をしていたシーンがあったという記憶はありません。東氏は、どのような根拠で上のようなソクラテス像を描き出したのでしょうか?
 
私は、以上のように、東氏のポストモダン理解や哲学史理解はおかしいのじゃないかと考えています。しかし、東氏の理解の根拠となるようなテキストがあれば、どなたでも結構ですからご指摘いただければ幸いです。